熊猫
https://toyokeizai.net/articles/-/951128?display=b
■失われたのは「将来なんとかなる」という安心の共有
不確実性や不安の増加に伴い、「安心するためにはここまで必要」という普通の基準があがってしまったわけです。
その高くなった基準をクリアできる層はいいですが、それらはせいぜい上位3割程度に限られます。それ以外の7割は、「客観的に普通であっても安心できない」心理状況に追い込まれていきます。働いてもまだ足りない、夫婦二馬力で稼いでも追いつかない。毎日働いて疲れ果て、子どもとの時間も楽しめなくなる。一体何のために働いているのかすらわからなくなってしまう。
誤解を恐れずに言えば、「昭和は何も考えなくても、普通の安心がそこにあった時代」だとすれば、「令和はいろんなことを考えなくてはならず、考えた末に安心を得るための最小リスクを求めるならば、何もしないことが合理的な時代」になってしまったと言えるでしょう。