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https://www.asahi.com/articles/AST7T26KYT7TUTIL01XM.html
植松聖死刑囚の「障害者は生きている価値がない」という考え方を非難する声が圧倒的に多いだろうと思っていたら、目に入るSNSの投稿では、植松死刑囚の背中を押す声も少なくなかった。つらくなるので追わないようにしていました。
(中略)
――この先の懸念はありますか。
街の中でダウン症の子どもは見かけても、ダウン症の大人の姿をあまりお見かけしないことが気になっています。未来が見えない。支援級はあっても「支援社会」がないんじゃないかと不安です。
でも、永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。老眼鏡も車いすも使わずにずっと生きていけるでしょうか。
人を「できる」と「できない」に分けると、必ず自分にしっぺ返しが来ます。誰かに「あなたはできないから社会に不必要」と言ったら、いずれは自分も言われます。分けている場合ではない。
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>>でも、永遠に「健常者」でいられる人はとても限られると思います。老眼鏡も車いすも使わずにずっと生きていけるでしょうか。
ここ論点変わってない?
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他人が助けてくれるべき、みたいな考え方の人を助けようとは思いません。
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目を潰し、鼻や耳を削ぎ、手足を切り落としてから、死刑にするべき
それが、犯罪防止にもなるだろ
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肩の荷が下りた遺族もいるんじゃないの〜?預けっぱなしで放ったらかしてた奴らは
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助けたい人は助けたらいいけど、それを社会全体に対して無理強いするのはやめろ。
嫌なものは嫌という価値観も尊重されるべき。
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正常と異常の境界線は曖昧。
健常者と障害者との境界線も曖昧。