匿名さん
https://diamond.jp/articles/-/364758
以前、とある生徒の部活に関する記事で、野球部の道具代や遠征代が高く、続けさせるのが厳しいという親の声が取り上げられたことがあった。
これに対して、ヤフーニュースの上位のコメントは「お金がかかるのは当たり前。野球などお金のかかる部活は贅沢だ」「お金がないなら選択肢が限られるのは当然」といったものだった。
大学進学も、よく「贅沢だ」と言われるものの1つだ。
児童養護施設から大学に進学した学生を取材し、「大学は贅沢品か」というテーマで記事にしたことがある。
この記事に寄せられたコメントでは、「社会に貢献したいというなら贅沢品ではないが、就職のためや、まだ学生生活を楽しみたいのなら贅沢品」「貧しくても学力や志のある人にとって贅沢品であってはならないが、Fランク(Fラン)なら贅沢品」「学力が高い学生は社会に貢献する可能性が高いから税金で支援するべき」といった意見が。
高等教育の学びにおいて動機の評価や選別をするのはそう簡単ではない。そして18歳の時点で進学の動機が定まっていないとして、それが「その程度の動機なら大学は贅沢品だ」と切り捨てるのはあまりに早計ではなかろうか。