匿名さん
現代社会は、歴史上類を見ないほど子供の安心や安全や健康や快適や自由が守られている社会である。また、さまざまな娯楽やエンタメにも恵まれており、通信技術も発展している。子どもにとってはまさしく理想的な時代のようにも思える。にもかかわらず、生まれる子どもは明治大正昭和平成の時代に比べれば圧倒的に少ない。「どんな子育て支援があっても産まないほうがコスパがいい」若者が"子どもは無理"と判断する本当の理由 「大学無償化」は少子化を打開するどころか深刻化させる
日本の少子化が深刻化しているのはなぜか。文筆家の御田寺圭さんは「電車で子供が少しでも騒ぐと、厳しい視線を向けられ、場合によっては怒鳴られたり、撮影してSNSで晒されたりすることもある。こうしたギスギスした緊張感の高まりは、子どもを持つことに心理的なリスクとためらいを感じさせるには十分だ」という――。
それはほかでもない、「平和で安心で安全で健康で快適で自由な社会の一員」を遵守するためのコストやリスクを、これから子どもを産み育てるはずだった世代の人びとが負いきれなくなっているからだ。
子どもが「子どもらしく」生きることは推奨されず、「社会の準正規メンバー」として順応することを期待される社会では、親は子どもを持てば持つほど「社会の正規メンバーとしてきちんと育て上げる」という管理責任を厳しく問われる機会が純粋に増えてしまうことになる。そんな社会状況で子どもを持ちたいとポジティブに思えるのは、子育てに経済的・人的リソースが豊富にある超富裕層か、あるいは社会から課せられる倫理観などどうでもよいと跳ね除けられるはみ出し者くらいになっていく。
まったく皮肉としか言いようがないが、いまほど社会が安全でも快適でも自由でも平和でもなく、親の責任も子どもの人生もはるかに「雑」に扱われていた時代のほうが、たくさんの子どもが生まれていた。
私たちは、「命」を大切にしすぎたせいで、「命」が生まれない社会に生きている。