匿名さん
たとえば、体育の授業では実技テストなどの名目で、一人ずつ順番に、クラスメイトの前で運動や技をやることがあります。先ほど挙げた跳び箱運動やマット運動などは、その典型かもしれません。そして、それらの運動や技が失敗したとき、私たちは、とてつもなく恥ずかしい感情を抱くことになるわけです。体育で公開処刑…なぜ授業で、辱めを受けなくてはいけないのか。トラウマになりかねない現代の「体育事情」 | 集英社オンライン | 毎日が、あたらしい
2012年に中学校体育で必修化された「ダンス」。小学校の指導要領にも「表現運動」としてダンスが組み込まれ、なんと今の子どもたちは9年に渡って授業でダンスや運動表現をを学ぶのだという。もちろん得意な生徒にとっては楽しい時間に違いないが、トラウマ級の辱めを受ける生徒が確実に存在することにも目を背けてはいけない。体育が嫌いな生徒がなぜ生まれるのか、書籍『体育がきらい』より一部抜粋して紹介する。
この「公開処刑」という表現が見事に表しているように、運動が苦手な人にとっては、クラスメイトの前で何かの技や演技をやらされることが、地獄のような苦しみであるということは容易に想像できます。さらに言うと、それは運動が苦手な人に限った話でもありません。
運動が得意な人であっても、クラスメイトの前で実践した際に失敗した場合、そのときの恥ずかしさを強烈に覚えていることがあります。前章でも少し触れたように、「運動は好き」なのに「体育が嫌い」という人は、そのような経験によって生み出されるのかもしれません。