匿名さん
インドネシアには、初対面の人に出身や民族を聞く習慣がある。リマが日本人の子孫であると答えると、教師や生徒から「いつインドネシアにきたの?どうして、おじいさんは日本の墓でなく、カリバタ(国立英雄墓地)に眠っているの?」といった質問が続く。その後は、「日本人、侵略者の孫」といじめられるのだ。「侵略者の子孫」と言われて――インドネシア社会に残る占領の傷と向き合う、残留日本兵の孫#戦争の記憶(小西晴子) - エキスパート - Yahoo!ニュース
1941年12月8日未明に起きた真珠湾攻撃によって始まった太平洋戦争で、インドネシアを占領した旧日本軍の兵士の中に、敗戦後も現地に残り、インドネシアの独立のために戦った約1000人の日本人がいた。しか
インドネシアの中学、高校の歴史教科書には、「国民は、コメの60%を日本軍と備蓄に供出し、食べ物も薬もなく、多くの人が病気で死んだ。また、労務者として過酷な仕事をさせられた。中部ジャワでは人口の53%が死亡した。日本の植民地になったことは、インドネシア人には大きな災害であった」と書かれている。
「日本兵の子孫が独立戦争に貢献したとインドネシア人に話しても、事実ではあっても過酷な日本軍の占領を弁護している、自己防衛と言われるかもしれない。中立的な立場で、歴史家が、歴史の事実として伝えたほうがいい」と思っているからだ。一方で、インドネシア人にも知ってもらいたいという葛藤もある。