目玉焼きにソースは邪道だ…大きなお世話でも、なぜ人様の「好き」を否定してしまうのか

目玉焼きにソースは邪道だ…大きなお世話でも、なぜ人様の「好き」を否定してしまうのか

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匿名さん

https://www.dailyshincho.jp/article/2022/10071055/ どんな話題のときも、とりあえず「でも」という接続詞をつけて、否定から話を始める人がいます。 「あのドラマ面白いよね」 「でも、主演女優がねえ」  たとえば、こんな調子。「面白くない」と否定したわけではありませんが、こう言われたら相手は一気にテンションが下がります。 (略)  否定から入るのは、「自分のほうがよくわかっている」「自分はこんなに深い洞察力がある」と見せつけたいから。しかし、本人の願望とは裏腹に、うっとうしさや底の浅さしか見えてきません。  ニュースサイトのコメント欄やSNSでも、「でも」「だけど」で始まる書き込みをよく目にします。しかし、そこから有意義な議論になったり、「なるほど」と膝を打ったりすることはまずありません。片や「そうですね」で始まる投稿は、中身がある可能性が大です。
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匿名さん

ちんぽ
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匿名さん

外人に言わせりゃ醬油は邪道www
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